先代住職は、もみじが好きで境内の各所に苗木を植えられました。その木々も立派に大きく育ち、毎年秋になると真っ赤に色付き美しい紅葉で我々を楽しませてくれます。大変ありがたいのですが、一つ大変なのは落ち葉です。晩秋の頃になると当たり一面落ち葉で埋め尽くされ、どれだけ掃き掃除をしても追いつきません。「先代が修行に励むように敢えて植えられたのかも?」と考えながら掃除しています。先代が亡くなる前の年、大きな台風が来て境内の木々が倒れました。幸い、もみじは無事だったのですが、本堂の前にある大事にしていた枝垂れ桜が折れて倒れました。私は何とか直そうと植木屋さんに相談し「移植出来ないか?」と尋ねると、「倒れた時に細い根が切れてしまったので移植しても難しいだろう」という返答でした。可能性は僅かでも何とかして花を咲かせてあげたい、咲いたら先代が喜んでくれ元気になるかもしれない!という一縷の望みで別の場所に植えましたが残念ながら立ち枯れしてしまいました。その後、先代が遷化し、美しく輝いていた秋の紅葉も何処か寂しげで、気持ちが沈んでおりましたが、ふと倒れた枝垂れ桜の場所を見ると50センチ程脇から幼木が出ていました。枝垂れ桜は倒れた時に根を切ることによって次の命を繋いでいたのです。私は嬉しくなり支柱をして細く倒れそうな枝垂れ桜を守りました。その時、先代が伝えたかった教えが分かった気がしました。
全ての生き物は次の世代へとバトンを繋ぐために、自らの役を全うするものだ。
悲しむことはない。と
曹洞宗は令和6年春から大本山總持寺において瑩山禅師七百回大遠忌を迎えます。
700年という長い月日を思うと、どれだけ沢山の方が命を掛けて瑩山禅師の教え、そして釈迦牟尼仏の教えを伝承されてきたのか想像すら出来ません。しかし、僧侶として一人一人が「仏法が花開くように」と願って託された想いは感じることが出来ます。
師匠から弟子へと教えが託される「相承(そうじょう)」
瑩山禅師が700年以上前に植えられた仏法の木は大きく育ち、また全国各地に広がりました。改めて当時の教えに触れると共に、今、どのように花開いているのか我々の目で見られる大変尊い大遠忌の年です。本山へ、またゆかりの寺院にお参りください。
当山の枝垂れ桜ですが、先代の三回忌を終え小さな花を咲かすようになりました。
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