年始の能登半島地震によって亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げるとともに、被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。
1月1日16時10分、私が住職を務めるお寺では、家族総出で大般若のご祈祷をお勤めしていました。携帯電話の警報音が鳴ったかと思えば、本堂がギシギシと音をたて、頭上の天蓋が大きく揺れました。幸い私の住む地域では大きな被害はありませんでしたが、すぐにテレビ報道等で能登地方を震源とする地震が発生したことが分かりました。多くの方は次第に被害の大きさが明らかになるにつれ、胸が締め付けられるような想いで、その状況を見守られていたのではないかと思います。
地震発生から数週間が経った先日、テレビで地震の報道特番をつけていると、小学生の長男が、珍しくじっと映像に見入っていました。多くの人が亡くなり、地震から何日もが過ぎているのに、孤立状態が続く集落があるなど、厳しい現実が報道されていました。いつもであれば、アニメやゲームと言い出すのに、どうしてか聞くと、これは大事なことだからと話してくれました。彼なりに、今回の地震被害の事実を受け止め、それらに向き合おうとしているのだなと感じ、親として、子の成長を頼もしく思った瞬間でもありました。
以前、「慈悲の心は磨き育てるもの」であると教えていただいたことがあります。
「慈悲」とは、他者の苦しみを理解し、その苦しみを和らげることを心から願う感情や態度を指します。そして、その「慈悲」の心は、もともと備わっているものではなく、ずっと磨き育てるものであると。
他者の苦しみを理解するには、まず正しく知ることが必要であり、そして、正しく知るには、それらに触れ、向き合うことが必要です。
地震のみならず、様々な出来事、人と人との関わりの中で生じる、人の悲しみや苦しみ、それらを正しく理解することは、決して簡単なことではありません。しかし、他者と向き合う、その経験を重ねていくことは、結果として私たちの心に安らぎを与え、人生を豊かにしてくれるものです。他人事とせず、自分事として捉え、被災地の方々の苦しみを正しく理解することに努め、様々な形で支援し向き合うこと、慈悲の行い、実践し続けていただきたいと思います。
最後になりますが依然として余震が続き、多くの方が寒さや不安の中でお過ごしになっていることと存じます。皆様方が、一日もはやく平穏な日常生活をとりもどせますよう、心よりご祈念申し上げます。
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